
はじめましての投稿です。
保育園から高校まで、8割が同じメンバーという田舎から、
小さい頃から憧れていた相愛大学音楽学部に往復6時間弱、
往復10回の乗り換えの4年間を経て卒業。
その時自分がもった『音大卒女子』を武器に、
働き場所の少ない田舎で音楽一本でどこまでできるのか・・・
どうやって収入を得られるのか・・・
などなど、今に至るまでの事、現在の事を綴ります。
『音大卒は武器になるのか』
日々模索中です
よろしくどうぞ💃

略歴と現在までの主な活動実績
徳島文理大学教授上田和子氏に小学5年生~2年間師事
相愛大学名誉教授故矢田瑛子氏に中学生~高校3年生まで6年間師事
大学在学中レストラン「サンマルク」レギュラーピアニスト4年間
学校関係伴奏約10団体、伴奏者として70回以上出演演奏
県内小中校学校教員経験年数13年(常勤・非常勤含む) 勤務校9校
リトミック教員1年間(月1×12回) 大阪府内私立幼稚園年少、年中、年長クラス担当
自宅音楽教室講師25年 年間指導数950コマ以上
ブライダル・セレモニー奏者 10年 年間約50案件

持っている資格
中学校教諭第一種免許
高等学校教諭第一種免許
リトミック指導者資格(リトミック研究センター認定ディプロマA・B)
1歳児指導者資格(リトミック研究センター認定)

現在の主な収入源
自宅音楽教室ピアノ教師
ブライダル奏者
セレモニー奏者
学校非常勤講師(非常勤なので枠がない年あり)
演奏業
音大卒ですがピアノ科ではありません。早い話・・・

ピアノ科には行けなかったんです、わたし🙄
小学校高学年の頃から地元の個人教室のレッスンに加え、月に1度大学の教授にレッスンをうけていました。

教授のレッスン料は1時間13,000円でした🙄今から思うと1時間のレッスンのうち教授の雑談が40分近くで、20分くらいがレッスンだったような・・・😇
田舎なので、
通っている小学校ではそれなりにピアノが弾ける存在でいられたのですが、
教授からみるとさっぱりだったのかレッスンではあまり注意されることもなく、
100点とか95点とか書いてくれた記憶があります😂
それでも進路はぶれることなく、
高校生になるころには週1の個人教室に加え大学の系列の音楽教室に週3で通い
ピアノレッスン、ソルフェージュ、声楽、楽典、音楽史・・・
音大にむけて着々と進んでいったのでした。
そして、高2の夏決定打が…….
あなたピアノ科は無理ね~ピアノは副科で行って教員免許取りなさい
ブライダル奏者
ピアノ科ではない私ですが、ピアノは弾けます🙄
大学に入ってすぐレストランでピアノを弾くアルバイトを4年間しまして、
その頃からいつかブライダル奏者になりたいなぁと夢見ていました🥺
最初は知り合いの奏者の代打助っ人でした
式が5日後だったので一旦は断りましたが、一晩考え・・・
それがきっかけで正式に現在の演奏事務所にはいることになりまして、
今に至っています。

寒いレッスン室で楽譜を広げ一晩悩んでだした結論がなければ今はなかったです
まっっったく縁もゆかりもない新郎新婦さんですが、
毎回感動感動です🤧
新婦さん手紙のリクエスト演奏の時は、、、、泣く🥲
ブライダルの依頼は大体月に5.6本入りますが、
土日は子どもの用事や自宅教室のレッスン都合で、受けるのは3.4本になります。
挙式と披露宴がありまして、
挙式のみ、
披露宴のみ、
両方
といった具合で依頼がきます。
打合せも含むと拘束時間が結構長く、1日仕事です

ギャラは会場によりますが披露宴のみで1案件大体7,000円+リクエスト+交通費といったところでしょうか・・・
セレモニー奏者
冠婚葬祭をてがけているグループ会社さまから事務所経由でのご依頼です。
私がご依頼いただいている斎場は4階建てになっていて、
1階部分がロビーになります。
なので葬儀の場では演奏はせず、
通夜式、告別式に参列される方をロビー演奏でお迎えするのと、
玄関からご出棺される際に式場より指定された曲を演奏します。
故人様のお顔を拝見することはありませんが、
演奏者として、
同じ人生の大切な節目となるセレモニーにおいても、
ブライダル同様心を込めて演奏させていただいています。
特にご出棺の際の演奏は、故人様の生涯に寄り添い、
その記憶がお見送りされる皆様に思い出とともに焼き付けてほしい
という想いで演奏しています。
通夜式のみ、
告別式のみ、
両方
といったご依頼になります。
ご依頼は急なことになる為、不定期です
ただお受けするときは午前、昼、夕と3案件同時にお受けすることもあります。
お迎え演奏→読経の間は控室にて待機→ご出棺→お見送り演奏といった流れになります。

通夜式、告別式ともに1案件10,000円+交通費です
自宅音楽教室講師
自宅で本格的にピアノを教えるようになったのは、長女を出産後です。
最初の頃は長女を車に乗せて寝かせながら、生徒募集のチラシを配りに行きました。
某大手英語教室や、幼稚園近くで待ち伏せてママさんたちに配っていました😂
あと若い世代の住んでそうな新興住宅を見かけては
ポスティングにも勤しんでいました 笑
そうこうするうちに一人増え、二人増え・・・
とする中で、指導内容にいつも悩んでいました。
大学では小さな子相手にレッスンする方法などは習っていませんし、
自分自身カリキュラムが構築されている楽器店出身ではないので、
年齢に応じた指導がわかりませんでした

特に小さな生徒さんにはまねっこ弾きオンリーで一応形にはしてただけ🙄その頃の生徒さんにあやまりたい🤦♀️
これではいかん!!
と一念発起し、
リトミック指導者資格を取得するべく都会に繰り出しました💃

2年間週3日片道2時間🚃かけて行きました。次女が4歳の頃です
振り返るとこの経験が分岐点だったような気がします。
それからは、導入指導の大切さを教えることこそが私の道だと。
セミナー受講や指導書、教材研究が本当に楽しくなりました。

ピアノ科ではないけれど、コンクール受賞歴もないけれど、わたしはこれがしたいーーー‼😤😤😤と気持ちが固まりました

レッスン料は1レッスン30分1,250円です。月謝だと5,000円ですが、基本急な休みでも来た回数分しかいただいていません
学校非常勤講師
講師として勤務する形態には常勤講師と非常勤講師があります。
常勤講師は、
いわゆる教師業全般をこなします。
クラス担任や学校で割り当てられた校務分掌、部活顧問など。
非常勤講師は、
基本的に授業のみなので、
担任をする事も校務分掌もありません。

給料は、常勤講師はボーナスあり出張手当あり交通費あり等、教諭と同じような月給です

非常勤は一コマ約3,000円くらいで交通費は出ますが、授業だけとはいえその前後の授業準備や、成績処理などの手当は基本的にでません
芸術科(美術、音楽など)は
学校勤務、
それぞれの芸術活動、
自宅教室などを組み合わせている
私のような非常勤講師も多くいます
どちらの講師勤務も年によって授業数が合わなかったり、
枠がなかったりなので、
これ1本を収入源にする事はできません😇

ここ10年の間で枠がなかった年は2年間です。
今年度急に打ち切りだったので、ガビーン😨でした
まとめ
音大に入って卒業するまでには、物凄いお金がかかります。
長年にわたっての毎月の月謝と教授のレッスン代に加えて、
毎回教授のレッスンに同行してくれる先生へのお礼やお車代、
グランドピアノ購入費、メンテナンス、発表会、衣装、先生方の演奏チケット、大学主催の夏季、冬季講習費、交通費、などなど
大学合格のさいは、関わってくださった先生方全員へのお礼
大学在学時は年間200万の授業料に加え、個人レッスン料、交通費などなど
おそらく家が1軒建つと思います

音大に行かすには親も相当の覚悟がいるのです
まさに親子二人三脚・・・
音大を卒業したからと言って、
ましてやピアノ科を卒業したからと言って、
演奏家としてそれ一本でやっていけるのは、
それこそ夢物語です🤦♀️
そうです
莫大なお金と時間、労力をかけても
まず回収できないのです
音大卒を武器に医者と結婚する?💃
いやいやそんなこと…(同期に何人かいましたが🙄 )
ここからが、人生模索模索模索…がはじまりました
中高の教員免許があるので
音楽教師として働くのが一番安定した収入を得られたのかもしれません。
そもそもなぜ、正規の教諭ではなく講師か・・・
ずばり採用自体がなかったからです。
大学卒業して何年か音楽科の採用がなかったこともあり、
その間に結婚出産してしまったからです。

いやいや、採用試験があっても採用されることはなかったと思いますが・・・🧏♀️
性格的にも無理なんです。うっかりミスが多いので🤗
子どもとの時間を一番長くとりたかった。
これが一番大きな理由でした。
子育てをしながら、
自分ができそうなことを少しずつ少しずつ増やしていったのが今です。
いろんなことに手を出しすぎてパニクった時期もありますし、
どれもこれも『かじってるだけ』に落ち込んだこともありますが、
振り返るとかじってきたことは長い年月をかけて、
音楽だけで収入を得ることにこだわった私の『生業』になっていきました。
その時々で自分のできることを
模索してきたなんじゃかんじゃをよければ見てください🤗
田舎で
音楽一本で
何ができるか
どこまでできるか
2021・9